2009年01月21日
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下高井戸の不自然な低地の由来と古鎌倉街道推定経路の必然仮説

Written By: 川俣 晶連絡先

 ご注意: 以下は単なるアイデアのメモなので、信じてはいけません。

 標高の数値地図で下高井戸を見ているうちに「これはおかしい」と思うようになりました。

図1

 (カシミール3D+ウォッちず6000+日本高密メッシュ使用)

 青い線は神田川の現在流路。斜めに上から下に貫通しているのが荒玉水道。神田川沿いの緑が下高井戸八幡神社。下のオレンジが桜上水駅です。

 ここで、気になるのは以下の2点です。

  • 下高井戸八幡神社北方に不自然な低地がある
  • 荒玉水道と神田川の交点の南部に不自然な広い低地がある

 ここで、より地形に対して自然な流路を山勘で想定して引いてみました。

図2

 (カシミール3D+ウォッちず6000+日本高密メッシュ使用)

 すると、これが神田川に存在した支流に近い経路であることに気付きました。

 ここで、以下のような解釈が成立する余地が出てきました。

  • 神田川はここで本来蛇行しながら流れていた
  • この流れを残しつつ、最短経路を直行する流路を人工的に開削した
  • 直線的な経路の方はより短い距離で流れるため、水面高さをより高い状態で流すことができる
  • 新流路と旧流路の間に水田を作ると、水面高さの高い新流路から水を入れて、水面高さの低い旧流路に排水することができる

神田川支流の考察 §

 標高を見ていると、自然の河川と人工水路が明確に区別できます。たとえば、神田川と玉川上水は流れる場所が「低い」「高い」という差があり、後者が自然の川ではないことが一目瞭然です。そして、地形を見ると過去に河川が存在した可能性のある場所も一目瞭然です。

 というわけで、高低差を手がかりに神田川の支流があったと思われる場所にラインを追加してみます。

図3

 (カシミール3D+ウォッちず6000+日本高密メッシュ使用)

 さて、この図を見て愕然としてしまいました。

 というのは、よく知っている下高井戸分水と古鎌倉街道という2つのラインが浮かび上がってきたからです。

下高井戸分水は天然河川を転用したものか? §

 下に追加したラインは玉川上水の下高井戸分水のラインに極めて近いものです。

 つまり、ここにはもともと自然の河川が存在し、下高井戸分水とはそれに玉川上水の水を流し込んだものかもしれません。

 ちなみに、支流ライン南端あたりで玉川上水は一時的に南に寄って現在は甲州街道に接していますが、これはこの支流が存在する谷地を避けるためと考えられます。

古鎌倉街道の必然 §

 古鎌倉街道の経路は、どうしてもすっきりと理解できませんでした。あまりにも非効率的でおかしな経路に見えていたのです。だから、あまりこれを語る機会がありませんでした。

 しかし、上の図に古鎌倉街道の推定経路(黄色いライン)を重ねてみると一目瞭然。複数の神田川支流が入り組んだ場所を西に回避しながら大宮八幡を目指すとすれば、合理的でリーズナブルな経路です。

図4

 (カシミール3D+ウォッちず6000+日本高密メッシュ使用)

下高井戸八幡神社位置の必然 §

 このようにして見ると、下高井戸八幡神社位置の必然が見えてきます。

 ここは実際には割と標高が高い土地であり、水田には適しません。しかし、南北は神田川と支流によって水田に向いた土地が広がります。つまり、このあたりの水田に適した土地のうち、西部の中心位置と言える位置に存在します。

 ちなみに、東部については向陽中学校/下高井戸グラウンドあたりに高台があってそこに屋敷があったという話もあるようなので、そこが支配的な中心地だったのかもしれません。

 いずれにせよ、標高地図で解釈の幅が大きく広がったのは事実です。

感想 §

 これまで、下高井戸分水に対する興味は「位置の確定」に絞られていて、成立の経緯などは特に注意を払っていませんでした。神田川と下高井戸の関わりなども、ほとんど昭和30年代以降しか見ていませんでした。しかし、これからはもっと古い情報にも注意を払い、勉強を進めていく必要がありそうです。

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